いつもの日々

わたかぜの忘備録。映画、アニメ、小説などの感想をメインに

小説 『屍者の帝国』 感想 複雑化した情報は質量を持つ

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伊藤計劃さんと円城塔さんの共著。

伊藤計劃さんが序章を遺し早逝された後、円城塔さんが完成させました。

 

伊藤計劃さんの作品はSFな世界観とその中で論じられる哲学的なテーマが魅力的で好きです。

しかし、正直に言うと今作はごちゃごちゃしていて何がテーマか私には難しくて分かり辛かった。今まで読んだ伊藤計劃作品がいかにシンプルで分かりやすい物なのか実感しました。なので今作は読み終わってもあんまり読了感が無く、モヤモヤした感じが強く残ってしまいました。

 

一応の物語と感想をまとめておきます。間違っている部分があったら指摘して頂ければ助かります。

 

屍者の帝国のテーマ

虐殺器官でのテーマは人間の良心について。またその良心がある状態から虐殺に至る過程を語られていました。言葉や死についてもたくさん出てきました。

 

ハーモニーでは一歩踏み込んで人間の意識について。人間の進化の行き着く先は全てを自明に選択できる状態、すなはち意識の消えた状態であると。それは人間と言えるのか?など語られていました。

 

屍者の帝国の序章では"屍者"という概念の紹介。そして死者と生者の違いである"魂"について。人は死ぬと21グラム減少する事を根拠に動物磁気や霊素という概念を用いて語られます。終盤は魂の2通りの解釈が、ザ・ワンとヘルシングの対立によって描かれます。

 

この「魂」が今作のテーマでした。

良心→意識→魂といい感じに進化してます。

 

・ザ・ワンとヘルシングの賭け

意識や魂はあらゆる生命に存在するか、それとも人間固有のものかという賭け。

 現代に生きている我々はそれは前者が正しいと分かりますが、作中は19世紀。当時の人々には分かりません。しかし屍者に意識はあるのかは我々にとっても謎です。

 

後半は人間と屍者とは別の存在であるザ・ワンが出てきます。ハダリーもザ・ワンと同じような存在。

人間は実は菌株に支配されており、ヘルシングが信じていた人間固有の魂は菌株が見せる夢の様なものだという話が出てきます。なんかひぐらしみたいだな。

霊素はその菌株と人間を繋ぐ言葉だというのです。

そして菌株には屍者化の言葉を受け入れる拡大派と、その言葉を拒否する保守派が存在していると。死んだあとは数が減り、何割かが”屍者化の言葉”によって不死化する。

ここの宿主が死んでも菌株は生きたままで、菌株が屍者化されるとまた動けるようになる原理がよく分かりませんでした。生きてても死んでも派閥の割合は変わらないと思うし。どうやって死んだ脳を再び働かせることができるようになるのかも謎。

 

さて、もし菌株の言葉を完全に理解し、保守派の説得に成功したらどうなるでしょう?

ザ・ワンは拡大派の菌株が保守派を駆逐し、生者が屍者と同じになってしまうと考えました。屍者の帝国。そして全人類が不死化し滅亡する。

ザ・ワンはそんな未来をなくすために拡大派(屍者)の封印を目指す。菌株など信じていないヘルシングは、屍者は必要だと考えそれを阻止しようとする。世界の滅亡がかかった賭けになるのです。


しかしこれはザ・ワンの見解で、納得できないなら菌株はXにして自分の納得するものを入れるといいと言う。ヴァン・ヘルシングはXを言葉と言った。
ここのXが作中では確定しておらず、分かり辛い原因だったように思う。

また円城さんは魂と意識を同じものとして書いていたのでそれも分かり辛かった。意識、魂、夢、全部同じです。

エピローグではフライデーが意識、魂を持っていたことが明かされます。私にとって屈指の感動的なエピローグでした。

賭けはザ・ワンの勝利です。
 

・人間の魂の重さは21グラム

情報が複雑化したらどうなるのか?

この作品の世界では、複雑化したパターン(情報)は質量を生み出します。要するに物質になる。この原理が肝。

 

脳に流れる電流パターンが複雑になった結果生まれたのを魂と呼んでおり、その重さは21グラムです。

 

これは解析機関にも当てはまります。解析機関は霊素の振る舞いをシミュレーションなどに使われる計算機です。フランスの解析機関グラン・ナポレオンは、上述の原理によって複雑な計算パターンが砂になり、解析機関の歯車に挟まってエラーを起こしています。

 

ハダリーはこの砂を"解析機関の夢"と呼んでいました。魂ではなく夢と。機械である自分には魂などないと言っているようにも思えます。

屍者は解析機関を用いて作られた電流パターンにより生まれます。屍者と生者を分かつ"不気味の谷"は解析機関の夢によって生まれました。

 

 

・円環構造

X→人の意識を構成

人→解析機関の意識(夢)を構成

解析機関がXの意識を構成できれば円環を作れる。このループを作ることができれば、どれか1つが誤った選択をしても他の2つを通して正しい選択に戻してやれる。まさに運命共同体となれるのです。

もし人間が屍者化を選んだら解析機関は滅亡してしまう。このループがあれば解析機関はXを操り、人間にその選択を辞めさせることができるのです。

ザ・ワンは解析機関と菌株の言葉を理解し、イギリスの解析機関チャールズ・バベッジを自分の制御下に置くことで、物質を情報化する技術を手に入れます。賭け自体も大事でしたが真の目的は失った伴侶を取り戻すことでした。菌株の結晶を元に伴侶を作ってめでたしめでたしが物語のラスト。

円環は構成されませんでした。

 

・スペクター

スペクターの正体は脳の欠陥です。その欠陥は脳が非常に複雑になったから生まれた物なのです。「複雑でかつ欠陥のないものは存在しない。」という原理に従ったまでの事。これが屍者の暴走を引き起こしました。勝手に生じるものなので止める手立てはまだ見つかっておらず、屍者を全て根絶やしにするのが唯一の方法。

生者の虐殺器官と似ています。

 

・屍者

単一のネクロウェアによって生きている→すべての行動が自明という点でハーモニープログラムを起動した後の人類と同じです。

 

・雑感

過去作との繋がりが感じられて面白かったです。

ただ今回の主人公は葛藤や揺らぎがあまりなく、只の観測者としての印象が強かった。

物語はただ語られるのではなく、適した場所に適した聞き手が必要。納得できないと理解できない。といった人間の理解の仕方の話が結構好きな考え方でした。

響け!ユーフォニアム2 第9話 「ひびけ!ユーフォニアム」 感想 ユーフォっぽい久美子

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前回は久美子の音楽の原点が明らかになりましたが、今回はあすか先輩の原点が明らかになりました。

あすかが久美子にこのような話をする気になったのは久美子が”ユーフォ”っぽかったからです。

 

・「黄前ちゃんらしいね」

夏妃先輩の言葉ですが、これはアニメ1期の5話、帰り道で麗奈が言った「黄前さんらしいね」が元になってます。麗奈は久美子の”らしさ”を気に入ったからこそ彼女と仲良くなっていったのです。

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普通のふりして、どっか見透かされてるような。

気付いてなさそうで、気付いてるような。

そして一番痛いときにポロッと言葉になって出てくる。

「本気で全国行けると思ってたの?」

だからなんか引っかかる。ギュッと捕まえてその皮はがしてやるって。

 久美子は、普段は周りの意見に流されがちで自分からあまり主張することはありません。しかし時々本音をポロッとだす。それは相手が精神状態に関係なく、突然出てくる。だからこそ相手の心にグサッときます。そのギャップが久美子らしい。

 

久美子は好奇心が強いのか、本音が無意識にポロッと出てしまう。だから久美子の本音を聞いた人たちは、普段は猫をかぶっているように見える。ある意味ミステリアス。麗奈はその奥にある本音をもっと知りたくなった。それが上記のセリフに全て表れています。

通常、人は一貫している人より少し揺らぎがある人の方が興味が湧きやすしドラマ性があります。完璧な人より、隙とか迷いとか欠点のある人の方が人間らしいってこと。創作物でそんな主人公が多いのはそういう理由です。

 

好奇心が強く、周りに流されやすいけど本音もしっかり言ってくれる。そんな久美子だからこそ麗奈と仲良くなれたり、オーディション、希美とみぞれ、滝先生の過去、そしてあすか先輩、全ての面倒事に突っ込んで行けたのでしょう

 

あの年齢になって、相手の事情にお構いなく喋るのができるのは結構珍しい存在だと思います。

 

・あすかにとってのユーフォ

彼女がユーフォを始めたのは父の進藤正和の影響。プロのユーフォ奏者であすかの元父。小1の頃ユーフォとノートと手紙が送られてきたのがきっかけです。そこから好きになって行った。

 

彼女の母は離婚の影響かユーフォを嫌っています。また、自分の理想を娘に押し付けるタイプの親でした。そのせいであすかは母の求める娘で居続けなければならず、そんな母にユーフォをやるのを認めさせるには学校でいい成績をとり続けるしかなかった。子供らしく駄々をこねたりするのが許されない家庭環境なのが想像できます。

 

だからあすかにとってユーフォはただの遊びではありませんでした。勉強もユーフォも手を抜かない。真剣にやっていたからこそ他の人のオーディションなんて興味がない。部長をやるのもめんどくさがります。

しかし副部長をやったり、ドラムメジャーをやったりと責任のある立場にはなんだかんだついていて、そのバランスのとり方はとても大人っぽいです。あの母親を一人で支えてきたせいでしょうか。

 

全国大会の審査員を父が務めるのを知って全国を目指そうとしたのは珍しく子供らしい部分でした。

 

・ユーフォっぽい久美子

私は吹奏楽に関しては全くの素人なので以下の記事を参考にさせて頂きました。

なぜ、ユーフォなのか(『響け!ユーフォニアム』感想) - ぼっちの小部屋

 

そんなあすかにとっても久美子はとても惹かれる存在でした。

他人の意見を受け止める余裕があるように見え、相手の痛い時にポロッと本音を出してくれる。相談相手にはもってこいな感じです。

あすかは自分の弱い部分を出しても受け止めてくれると思ったからこそ久美子に話そうという気になったんでしょうね。香織や晴香部長じゃ本音でズバッと切ってくれるような安心感がなかった。

 

部内のどんな面倒事にも突っ込んでいってなんだかんだで解決する所が、ユーフォの吹奏楽の中での「何でも屋」という立ち位置と同じだったからあすか先輩は久美子の事をユーフォっぽいと表現したのでしょう。

あと普段は目立たないけど時々本音をこぼすというのも高音でも低音でもない中低音って感じがしてユーフォらしいです。

 

このことを踏まえるとあすかが自分は全くユーフォっぽくないといったのがわかると思います。

あすかが本音で話せた唯一の友達が久美子だったのです。

そしてそんな自分を好きですと言ってくれる嬉しさは何よりも尊い。

 

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・中世古香織と靴ひも

靴ひもを結ぶシーンがありました。あすか先輩の表情は全く分からず香織先輩の後ろ姿だけが見える。あすか先輩は喜ぶどころかむしろ嫌そうな雰囲気出してましたね。

香織が靴ひもを”縛った”シーンは自分を”縛る”母を連想していやになったのか過保護な母を連想して感じで嫌になったのか。

もしそうなら、あすか先輩のお気に入りの靴は彼女の好きなユーフォを象徴している事になり、あすかは香織をあすかの母と重ねてしまっていることになります。香織先輩あんだけ尽くしているのにそこが仇となるなんて悲しすぎる。。

 

・雑記

「ユーフォっぽい」というセリフは原作にはなく、アニメオリジナルです。

この大事な場面でアニメオリジナルが入ってきて私はとても感動しました。

原作はドライな感じの中に青春要素が詰め込まれていて現実感があって好きですが、アニメはさらにわかりやすく感動青春ものになっていてこちらも毎週楽しんでいます。

ついでに言うと「黄前さんらしいね」も原作にはありません。

1期の「上手くなりたい」と走るシーンもアニメオリジナルだし、ユーフォはオリジナル部分がほんとに凄いです。

 

次は麻美子さんの話かな?一週間後が楽しみです。

響け!ユーフォニアム2 第8話 「かぜひきラプソディー」 感想 久美子の原点

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こんにちは。

曇り空の中、物語が着々と進んでいった第8話。

相変わらず部活を続けられるのかわからないあすか先輩の話が遅々と進む一方、今回は久美子の音楽の原点である姉の麻美子について焦点を置いた話でした。

 

・今まで"我慢"してきた麻美子

実家に戻ってきた麻美子は大学を辞めて美容師を目指したいと言います。当然親はなんでこの時期になって言い出したのかと反対して揉める。

このタイミングで言い出したのは彼女が大学3年生だからです。大学3年生の秋はちょうど就活を始める時期。自分の将来について今まで以上に真剣に考えないといけない時期です。これが社会に出る前の”最後の”選択になります。それだけにやり直しがきかない。中学、高校、大学を選ぶのとはわけが違う。もちろん働き始めてからでもやり直しはできますが労力が半端じゃない。

 

麻美子は真剣に将来を、自分のやりたいことを考えた時に、やっぱりこのままは嫌だと思った。その結果大学を辞めたいと言い出します。今まで親や先生が薦める進路に表面上は素直に従ってきた彼女も本音では我慢していた事がここで明らかになります。wixoss風に言うと選択者の理をしっかり受け入れられていなかった。

 

麻美子は母親には中学の時から美容師になりたいと言っていたそうですが、母親はそのことをあまり覚えてなかった様子。子供がプロ野球選手になりたいって言うのと同じレベルだと思っていたのかもしれません。

父親には今まで将来のことを真剣に話していませんでした。父親とのコミュニケーション不足が伺えます。

 

親が麻美子と将来について真剣に話す機会を設けていなかったのは大人である親の責任だと思いますが、一方的に親が悪いわけではない。最終的に大学進学を決めたのは麻美子自身です。そこに他者の責任が入る余地はありません。麻美子が親に自分の気持ちを伝えなかったのが原因です。そのことを彼女もわかっているから余計に歯がゆい。親にそれ以上何も言えない。

この他人の意見に流されてしまう感じは久美子と似てますね。

 

そんな本音トークを横で携帯いじりながら聞いてる久美子は好奇心が強い。変わっている子です。私なら話は気になるけど、空気が重すぎて一緒の空間に居たくない。自分の部屋に避難します。

 

・久美子の原点

彼女が音楽をやりたいと思ったきっかけは麻美子の発表会です。姉の演奏している姿がかっこよくて自分もやりたいと思うようになります。久美子にとって姉は憧れの存在でした。

麻美子が吹奏楽を辞めた時も納得できず姉に食って掛かりますが止めることはできませんでした。麻美子は音楽を辞めてしまいます。憧れの存在がそうでなくなってしまった悲しみは久美子にとって大きかった。

高校生になった今でも久美子は納得できていない。姉がきっかけで吹奏楽をやっている以上なかなか受け入れられないんでしょうね。麗奈の前でも感情を爆発させてしまうほどに。

 

そんな姉の経験があるからこそ、あすか先輩が部活を辞めるか辞めないのは久美子にとって一大事です。久美子は”吹奏楽を辞めなかった姉”の姿をあすか先輩に重ねています。「辞めないですよね」と繰り返しあすかを問い詰めたのもそのためです。しかしあすか先輩には姉と同じように、あまりしつこいと口縫っちゃうよとあしらわれてしまいます

 

斉藤葵

凡人として、音楽を辞めたものとしての彼女の存在は、全国を目指す吹奏楽とは対照的。音楽の才能があって毎日必死に練習を続けている人ばかりではなく、このような人もちゃんと出てくるのはユーフォらしくて好きなところです。

彼女についてもっと知りたい方は以下をどうぞ。なぜ彼女が「あの子(あすか)もちゃんと人間だったんだね」と言ったのかわかりやすくなると思います。

http://tkj.jp/info/euphonium/backnumber/#no03

 

幼馴染の秀一

今回は秀一がMVP!これまで久美子の1番近くに居たのがが麗奈だっただけにマンションロビーでのシーンは印象的でした。姉と久美子を取り持つのは幼馴染の方が適任です。まさに幼馴染パワー爆発といった感じの8話。

秀一のナイスアシストによって麻美子はかつて河原で久美子にトロンボーンを演奏してあげたのを思い出します。幼い久美子との日々。しかし同じベンチに座ったはいいがあの時何を吹いてあげたのか、あの時自分はどう感じていたのか”忘れて”しまった。あの頃は桜が舞っていたが今舞っているのは枯葉。懐かしさ、悲しさ、自虐いろんな感情が入った「忘れた」。沼倉愛美さん最高!!

あの日々を懐かしく思った麻美子は久美子にCDを借りに行きます。

 

9話が待ち遠しいです。

音楽の2つの楽しみ方

昨日見た乃木坂工事中で、乃木坂46のメンバーがバナナマンにオススメの一曲を紹介するというのをやっていました。メンバーは曲と共に何で紹介したのかを語っていたのですが、そのほとんどの理由が歌詞だったのに衝撃を受けました。

 

歌詞が好きで音楽を聴いていること自体は別に普通の事だと思うのですが、あまりの数の多さに驚きました。あの年代の女性にとっては歌詞が音楽を聴くときに1番大事なポイントなんですね。

 

私はテンション上げたい時に音楽を聴くタイプです。日村さんも同じような事言ってました。

それだけに余りに考えが違いすぎて新鮮でした。

 

・歌詞の何がいいのか

歌詞は文字だけで見ると詩と同じです。それを音に乗せて歌うから歌詞になる。

歌詞を作った人の考えや思いが歌となって聞く人に届く。ただ喋ったり朗読するより伝わりやすいんでしょうね。だからこそミュージカルとかでもただ喋るのではなく歌で思いを伝える。

 

・歌の持つメッセージ性

私が歌詞を重視出来ないのは感情移入できないからです。どこの誰とも知らないミュージシャンはもはや他人。他人が言っている事に強い興味を持てるかというと厳しいものがあります。普通に音を聴いてる方が楽しいからそれ以外に余計なリソースを割くのがだるい。

またそういうメッセージは歌詞を聞くよりも本や映画、アニメで登場人物に感情移入しながら理解する方が自分にとってはすごい楽しいというのもあります。

 

そりゃちょっとは聞く気になるときもあるけど、あくまで音を楽しみ尽くした後の話でよほどパンチのある歌詞じゃない限り意識を向ける事はないです(キュウソネコカミとか)

 

映画やアニメので使われる歌の場合はストーリーにも関係ある場合が多いので歌詞にも注意して聞くようにしています。いますが…普段の癖が抜けなくてやっぱり途中から音楽と映像しか追いかけなくなってしまいます。

同じ理由で舞台を見に行くときも苦労します。

 

君の名はの前前前世とか歌詞がすごい大事なのに気づいたら歌詞追ってなかったです。見終わった後、歌詞を検索してわざわざ見ました。

普段から歌詞を聞く癖つけてればもっと面白かっただろうなと思います。あの映画キャラがセリフを喋っている間でも容赦ない音量で歌流すからセリフが聞こえづらいったらありゃしない。そんだけ歌詞を重視してたって事なんだろうだけど。

君の名はのヒットは10代女子のそういう音楽観にピンポイントで刺さったからというのもあるのかもしれません。そこから口コミで一気に広まったって感じ。

 

 ・音楽の聴き方を変えたい

音楽を聴く時に歌詞を重視できるという事は、音と詩をどちらも楽しめるという事です。羨ましい!

歌詞はあまり楽しめないけども、ちゃんと歌詞も聞く癖をつけて行かないとなーと思った次第でした。

アニメ「東のエデン」 感想 ニート&ニート&ニート

東のエデン

監督:神山健治

キャラクター原案:羽海野チカ

 

攻殻機動隊の神山監督とハチクロの羽海野先生のタッグによる作品。代表作のイメージが全然違うので結構衝撃。まどマギ虚淵蒼樹タッグみたいです。羽海野先生は現在放送中のアニメ「3月のライオン」の作者でもあります。3月のライオンは2011年のマンガ大賞に選ばれており、ガチの将棋バトルや人間ドラマに加え、すごいかわいい絵柄なので漫画の方もおススメです。

 

見終わった後、放送当時に見ていなかった事に少し後悔しました。

今回はTVシリーズのみの感想。映画版も見たらまた書こうと思います。

 

・あらすじ

現代日本が舞台。

現代の日本に危機感を持った亜東というおっさんが日本を変えたいと思うが末期癌で時間がないのでセレソンゲームを開催。このゲームは12人のセレソンに金と権力を持たせ、日本をより良い姿に変える事を勝利条件にしたバトルロワイヤルで、1人だけが生き残れるという仕組み。

あるセレソンがミサイルを日本に発射。

主人公の滝沢朗がニート2万人を使ってこれを阻止するも、世間とニートどちらからも裏切られ絶望し、裸で銃を持ってホワイトハウスにGO!記憶を消去する。

そこでヒロインの森美咲と出会い、過去の自分を探っていく。

その中でNo.1のセレソン、元官僚の物部と出会うが考え方の違いにより対立。

今度は60発のミサイルが発射されるがまたしてもニートの力を借りてこれを食い止める。

残りの金で滝沢朗は日本の王子になった。

 

アニメの前半は記憶喪失もので後半は物部との対立がメインのお話でした。

タクシードライバーとか映画の引用が多々出てきたけど、最初裸だったのはターミネーターのオマージュだったのかな。

 

・物部と滝沢の対立

物部はノブレス携帯のシステムを評価しており、自分が第二の亜東になろうとしています。彼の短期的な目標は既得権益にしがみつく老害と怠け者の排除。足を引っ張っている人を切り捨てて、もう一度戦後の日本精神をよみがえらせ日本を救おうと考えです。強者の味方。資本主義的です。

 

対して滝沢朗はニートでも直列につないでやれば結構使えるという。怠け者でもちゃんと使ってやれば大丈夫だよと。要は上に立つものがしっかり面倒見てやるべきだという物部とは反対のノブレスオブリージュ的な考え。社会的弱者の味方なわけです。ヒーロー的な存在ですね。

彼が何故これほどの自己犠牲の精神を持っているのかは謎ですが、その1つに自分を気に掛けてくれる咲の存在があったのは事実でしょう。案外咲を守りたい一心で王になろうと思ったのかもしれません。

 

TVシリーズではこの対立に答えは出ませんでしたが、対立の演出が非常に熱くてワクワクしながら見てました。ミサイル60発撃たれたのにそれを全部撃ち落とすなんてかっけえええ。

 

ニート

その滝沢の手伝いをしたのがすべてニートだったというのもまた面白いところだったと思います。最初の10発のミサイルの際に避難誘導したのも、携帯を直したのも、60発のミサイルの対処法を考えたのも全てニートです。

ニートもかっこいい珍しいアニメでした。

映画「メメント」 感想 記憶の不確かさ

クリストファー・ノーラン監督による映画。同監督のインセプションがとても面白かったので見てみたという流れです。インセプションの方は誰にでもオススメしやすいSF映画でしたが、今作は全く逆のタイプでした。

 

この映画のポイントは時系列。冒頭のシーンから段々と遡っていくという手法となっており、初見時はえらく混乱しました。冒頭の映像が逆再生されたことからすぐに気付ければ良かったのですがなかなか気付けなかったです。

遡っていくストーリーとは別に、モノクロの映像が所々で挟まれます。主にサミーの話で、こちらは基本的に時系列に沿った内容になっています。

この2つの時系列はラストで交わるようになっており、この映像トリックがこの映画の1番の見所となってます。

 

・物語を遡る

この映像トリックの面白いところは、記憶障害を持つ主人公レナードと同じ状況を体験できる所です。過去の記憶がない所から、今の状況や刺青、自分が残したメモを元に過去を遡っていく。誰が信用できる人物なのか全くわかりません。(結局全員レナードを利用してやろうという悪いやつだったという可哀想なオチ

もし普通に時系列順に映画を作っていたら記憶障害を持つレナードがどのような状況に置かれてるかイマイチ体感しにくかったでしょう。記憶障害を疑似体験するには持ってこいの手法なわけです。

こんなことを思いつけるノーラン監督尊敬します。

 

ただ斬新な手法な故に理解するまで時間がかかり、難しいと感じてしまう人が多いと思います。1度で完璧に理解できる人は普通にすごいと思う。だから冒頭でも触れたように誰にでもオススメできるような作品ではないのが少し残念。

 

・記憶の不確かさ

レナードは家に強姦魔が押し入ってきた際に頭を強打され記憶障害を患います。その後、その記憶障害が原因で妻を亡くしてしまいます。

彼はそのトラウマから記憶を都合のいいように書き換えました。「妻は強姦魔にレイプされて殺された。」「サミーは記憶障害が原因で妻を亡くした」サミーはレナードが保険会社に勤めていた時のお客さんです。レナードは保険金詐欺かどうかの調査をしていました。

不可抗力とはいえ自分が妻を殺してしまった事実に耐えられなかったのです。

記憶を書き換えた後、彼は妻を強姦した犯人を殺します。殺された妻の復讐という大義名分があるため殺人の達成感は思った以上に大きかったのでしょう。笑顔で映る写真からもそれがわかります。

 

復讐の達成感を覚えてしまったレナードは自分のトラウマに向かい合う事ができず、妻を殺した責任を架空の犯人ジョン・Gになすりつけます。彼は殺した事を忘れ、また新しいジョン・Gを探しては殺すのを繰り返します。テディから自分が殺人を繰り返していた真実を聞いた後も彼は全く変わりません。テディが真犯人だと思えるような手がかりをわざと残した上で記憶を忘れ、最終的にテディも殺します。テディに利用されていたとはいえやり過ぎです。

 

記憶はいざとなれば自分の都合のいいように書き換えられるという良い部分、正しい記憶がないと自分が何者かわからなくなってしまうという悪い部分、どちらも感じられる作品でした。

映画「グラン・トリノ」 感想 人生の終わらせ方

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2008年に公開。クリント・イーストウッド監督の名作。主人公もイーストウッド自身が演じています。

 

とにかくウォルトがかっこよかった!評判が良かっただけに期待外れに終わると嫌だなあと思っていたのですが、十分良かったです。長い人生を歩んできた老人ならでは生き様を感じられました。

 

・あらすじ

妻に先立たれた昔堅気の頑固親父ウォルト・コワルスキーと隣家のモン族の気弱な少年タオの話。隣家のタオとその姉スーがギャングに絡まれていたところを助けたことがきっかけで交流するようになる。ウォルトはタオを一人前の男に育て上げるべくいろいろと手助けをし、次第にタオやその家族と仲良くなっていく…

 

・ウォルト・コワルスキー

綺麗な妻に二人の子供、一軒家に庭、そして愛車グラントリノ。まさに順風満帆な人生。朝鮮戦争を経験し、退役した後は50年フォードで自動車工として働いた。仕事を辞めた後は妻と犬とのんびり暮らす。まさに理想の人生。

 

しかし子供が大人になって一人立ちして、妻にも先立たれた彼には何が残ったでしょう?子供たちとは接し方がわからずあまり仲良くはなれなかった。もちろん家や庭、愛車は”物”として存在していますが、それだけでは彼の生きがいとはなりえませんでした。

バーで27歳童貞の牧師と話をしていた時、牧師からあなたにとって生と死は何か聞かれます。ウォルトは死について、朝鮮戦争を3年経験して17人の子供を銃剣で刺したりシャベルで殴って殺したことを話します。逆に生については、家庭を持ったとしか言いません。ぱっと出てくる生きがいがそれしかなかったからこそこの答えなのです。愛車グラン・トリノは大切な物ではあるが、生きがいにまではならなかったのでしょう。戦争で人を殺した罪の意識がそれだけ大きかったということでもあります。殺した人数を覚えている事がその証拠。人はどうでもいいことはすぐに忘れてしまうものです。

 

・罪の意識

タオとその家族がギャングに絡まれているところを助けた後日、なぜ警察を呼ばなかったのかと牧師が訪ねてきます。ウォルトは咄嗟の判断が重要だと、また”朝鮮戦争での経験”を例に答えました。すると牧師はその罪からは神に懺悔することで救われる、と懺悔を勧めてきます。ここで彼は”命令されてではなく、自分の意思でやった”からと懺悔を断るのです。

命令されて仕方なくと罪から逃れるのではなく、自分の意志で殺したんだと真っ向からその罪と戦う姿勢。めちゃくちゃかっこいい。

 

虐殺器官のクラヴィスを思い出しました。クラヴィスも仕事としてたくさんの子供を殺していましたが、その罪とその罪から逃れようとした罪の意識を感じていました。その罪の意識に苛まれるという地獄の中で、彼は答えや赦しを求めていました。その結果彼はアメリカを混沌に陥れます。罪の重さに耐えきれなかったとはいえ自殺よりたちの悪い幕引きです。対してウォルトはクラヴィスよりずっと精神面では強く、戦争から帰ってきてその罪に悩みながらも家庭を持ち順調に人生を送りました。50年以上もその地獄と戦い続けたなんて立派すぎる…

 

この姿勢は終盤で教会に懺悔した時にも表れます。彼は妻以外の女性とのキス、脱税、息子との不仲を懺悔しますが、戦争でのことは懺悔しません。ギャングどもに対する報復も銃ではなくライターで行います。ライターには第1騎兵師団のロゴが入っており、まさに彼の戦争時代の象徴と言えるでしょう。そのライターとともに没する。人殺しを悔いており、その罪の意識を持ちながら人生を終えたことを伝えるとても素晴らしい幕引きでした。

人の死をこれほどかっこよく思えたのはこの映画が初めてです。それは彼が罪の意識から逃げるのではなく、友達タオの為に、そして誰も血を流さない解決方法としてこれを選んだからです。何十年もこの罪の意識と戦い続けたウォルトにとってこの選択は逃げと言えるでしょうか?もうそれだけ戦ったなら私は十分だと思います。

自己犠牲の究極として死を持ち出すのはエンタメの常套手段ですが、今作はそれを差し引いてもよかった。最高にかっこいい人生の終わらせ方。

 

彼から生き様を学んだタオ。タオこそが愛車グラントリノを受け継ぐに相応しい人物なのは間違いありません。