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いつもの日々を楽しもう

わたかぜの忘備録。映画、アニメ、小説などの感想をメインに

響け!ユーフォニアム2 第8話 「かぜひきラプソディー」 感想 久美子の原点

アニメ

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こんにちは。

曇り空の中、物語が着々と進んでいった第8話。

相変わらず部活を続けられるのかわからないあすか先輩の話が遅々と進む一方、今回は久美子の音楽の原点である姉の麻美子について焦点を置いた話でした。

 

・今まで"我慢"してきた麻美子

実家に戻ってきた麻美子は大学を辞めて美容師を目指したいと言います。当然親はなんでこの時期になって言い出したのかと反対して揉める。

このタイミングで言い出したのは彼女が大学3年生だからです。大学3年生の秋はちょうど就活を始める時期。自分の将来について今まで以上に真剣に考えないといけない時期です。これが社会に出る前の”最後の”選択になります。それだけにやり直しがきかない。中学、高校、大学を選ぶのとはわけが違う。もちろん働き始めてからでもやり直しはできますが労力が半端じゃない。

 

麻美子は真剣に将来を、自分のやりたいことを考えた時に、やっぱりこのままは嫌だと思った。その結果大学を辞めたいと言い出します。今まで親や先生が薦める進路に表面上は素直に従ってきた彼女も本音では我慢していた事がここで明らかになります。wixoss風に言うと選択者の理をしっかり受け入れられていなかった。

 

麻美子は母親には中学の時から美容師になりたいと言っていたそうですが、母親はそのことをあまり覚えてなかった様子。子供がプロ野球選手になりたいって言うのと同じレベルだと思っていたのかもしれません。

父親には今まで将来のことを真剣に話していませんでした。父親とのコミュニケーション不足が伺えます。

 

親が麻美子と将来について真剣に話す機会を設けていなかったのは大人である親の責任だと思いますが、一方的に親が悪いわけではない。最終的に大学進学を決めたのは麻美子自身です。そこに他者の責任が入る余地はありません。麻美子が親に自分の気持ちを伝えなかったのが原因です。そのことを彼女もわかっているから余計に歯がゆい。親にそれ以上何も言えない。

この他人の意見に流されてしまう感じは久美子と似てますね。

 

そんな本音トークを横で携帯いじりながら聞いてる久美子は好奇心が強い。変わっている子です。私なら話は気になるけど、空気が重すぎて一緒の空間に居たくない。自分の部屋に避難します。

 

・久美子の原点

彼女が音楽をやりたいと思ったきっかけは麻美子の発表会です。姉の演奏している姿がかっこよくて自分もやりたいと思うようになります。久美子にとって姉は憧れの存在でした。

麻美子が吹奏楽を辞めた時も納得できず姉に食って掛かりますが止めることはできませんでした。麻美子は音楽を辞めてしまいます。憧れの存在がそうでなくなってしまった悲しみは久美子にとって大きかった。

高校生になった今でも久美子は納得できていない。姉がきっかけで吹奏楽をやっている以上なかなか受け入れられないんでしょうね。麗奈の前でも感情を爆発させてしまうほどに。

 

そんな姉の経験があるからこそ、あすか先輩が部活を辞めるか辞めないのは久美子にとって一大事です。久美子は”吹奏楽を辞めなかった姉”の姿をあすか先輩に重ねています。「辞めないですよね」と繰り返しあすかを問い詰めたのもそのためです。しかしあすか先輩には姉と同じように、あまりしつこいと口縫っちゃうよとあしらわれてしまいます

 

斉藤葵

凡人として、音楽を辞めたものとしての彼女の存在は、全国を目指す吹奏楽とは対照的。音楽の才能があって毎日必死に練習を続けている人ばかりではなく、このような人もちゃんと出てくるのはユーフォらしくて好きなところです。

彼女についてもっと知りたい方は以下をどうぞ。なぜ彼女が「あの子(あすか)もちゃんと人間だったんだね」と言ったのかわかりやすくなると思います。

http://tkj.jp/info/euphonium/backnumber/#no03

 

幼馴染の秀一

今回は秀一がMVP!これまで久美子の1番近くに居たのがが麗奈だっただけにマンションロビーでのシーンは印象的でした。姉と久美子を取り持つのは幼馴染の方が適任です。まさに幼馴染パワー爆発といった感じの8話。

秀一のナイスアシストによって麻美子はかつて河原で久美子にトロンボーンを演奏してあげたのを思い出します。幼い久美子との日々。しかし同じベンチに座ったはいいがあの時何を吹いてあげたのか、あの時自分はどう感じていたのか”忘れて”しまった。あの頃は桜が舞っていたが今舞っているのは枯葉。懐かしさ、悲しさ、自虐いろんな感情が入った「忘れた」。沼倉愛美さん最高!!

あの日々を懐かしく思った麻美子は久美子にCDを借りに行きます。

 

9話が待ち遠しいです。

音楽の2つの楽しみ方

考え方

昨日見た乃木坂工事中で、乃木坂46のメンバーがバナナマンにオススメの一曲を紹介するというのをやっていました。メンバーは曲と共に何で紹介したのかを語っていたのですが、そのほとんどの理由が歌詞だったのに衝撃を受けました。

 

歌詞が好きで音楽を聴いていること自体は別に普通の事だと思うのですが、あまりの数の多さに驚きました。あの年代の女性にとっては歌詞が音楽を聴くときに1番大事なポイントなんですね。

 

私はテンション上げたい時に音楽を聴くタイプです。日村さんも同じような事言ってました。

それだけに余りに考えが違いすぎて新鮮でした。

 

・歌詞の何がいいのか

歌詞は文字だけで見ると詩と同じです。それを音に乗せて歌うから歌詞になる。

歌詞を作った人の考えや思いが歌となって聞く人に届く。ただ喋ったり朗読するより伝わりやすいんでしょうね。だからこそミュージカルとかでもただ喋るのではなく歌で思いを伝える。

 

・歌の持つメッセージ性

私が歌詞を重視出来ないのは感情移入できないからです。どこの誰とも知らないミュージシャンはもはや他人。他人が言っている事に強い興味を持てるかというと厳しいものがあります。普通に音を聴いてる方が楽しいからそれ以外に余計なリソースを割くのがだるい。

またそういうメッセージは歌詞を聞くよりも本や映画、アニメで登場人物に感情移入しながら理解する方が自分にとってはすごい楽しいというのもあります。

 

そりゃちょっとは聞く気になるときもあるけど、あくまで音を楽しみ尽くした後の話でよほどパンチのある歌詞じゃない限り意識を向ける事はないです(キュウソネコカミとか)

 

映画やアニメので使われる歌の場合はストーリーにも関係ある場合が多いので歌詞にも注意して聞くようにしています。いますが…普段の癖が抜けなくてやっぱり途中から音楽と映像しか追いかけなくなってしまいます。

同じ理由で舞台を見に行くときも苦労します。

 

君の名はの前前前世とか歌詞がすごい大事なのに気づいたら歌詞追ってなかったです。見終わった後、歌詞を検索してわざわざ見ました。

普段から歌詞を聞く癖つけてればもっと面白かっただろうなと思います。あの映画キャラがセリフを喋っている間でも容赦ない音量で歌流すからセリフが聞こえづらいったらありゃしない。そんだけ歌詞を重視してたって事なんだろうだけど。

君の名はのヒットは10代女子のそういう音楽観にピンポイントで刺さったからというのもあるのかもしれません。そこから口コミで一気に広まったって感じ。

 

 ・音楽の聴き方を変えたい

音楽を聴く時に歌詞を重視できるという事は、音と詩をどちらも楽しめるという事です。羨ましい!

歌詞はあまり楽しめないけども、ちゃんと歌詞も聞く癖をつけて行かないとなーと思った次第でした。

アニメ「東のエデン」 感想 ニート&ニート&ニート

アニメ

東のエデン

監督:神山健治

キャラクター原案:羽海野チカ

 

攻殻機動隊の神山監督とハチクロの羽海野先生のタッグによる作品。代表作のイメージが全然違うので結構衝撃。まどマギ虚淵蒼樹タッグみたいです。羽海野先生は現在放送中のアニメ「3月のライオン」の作者でもあります。3月のライオンは2011年のマンガ大賞に選ばれており、ガチの将棋バトルや人間ドラマに加え、すごいかわいい絵柄なので漫画の方もおススメです。

 

見終わった後、放送当時に見ていなかった事に少し後悔しました。

今回はTVシリーズのみの感想。映画版も見たらまた書こうと思います。

 

・あらすじ

現代日本が舞台。

現代の日本に危機感を持った亜東というおっさんが日本を変えたいと思うが末期癌で時間がないのでセレソンゲームを開催。このゲームは12人のセレソンに金と権力を持たせ、日本をより良い姿に変える事を勝利条件にしたバトルロワイヤルで、1人だけが生き残れるという仕組み。

あるセレソンがミサイルを日本に発射。

主人公の滝沢朗がニート2万人を使ってこれを阻止するも、世間とニートどちらからも裏切られ絶望し、裸で銃を持ってホワイトハウスにGO!記憶を消去する。

そこでヒロインの森美咲と出会い、過去の自分を探っていく。

その中でNo.1のセレソン、元官僚の物部と出会うが考え方の違いにより対立。

今度は60発のミサイルが発射されるがまたしてもニートの力を借りてこれを食い止める。

残りの金で滝沢朗は日本の王子になった。

 

アニメの前半は記憶喪失もので後半は物部との対立がメインのお話でした。

タクシードライバーとか映画の引用が多々出てきたけど、最初裸だったのはターミネーターのオマージュだったのかな。

 

・物部と滝沢の対立

物部はノブレス携帯のシステムを評価しており、自分が第二の亜東になろうとしています。彼の短期的な目標は既得権益にしがみつく老害と怠け者の排除。足を引っ張っている人を切り捨てて、もう一度戦後の日本精神をよみがえらせ日本を救おうと考えです。強者の味方。資本主義的です。

 

対して滝沢朗はニートでも直列につないでやれば結構使えるという。怠け者でもちゃんと使ってやれば大丈夫だよと。要は上に立つものがしっかり面倒見てやるべきだという物部とは反対のノブレスオブリージュ的な考え。社会的弱者の味方なわけです。ヒーロー的な存在ですね。

彼が何故これほどの自己犠牲の精神を持っているのかは謎ですが、その1つに自分を気に掛けてくれる咲の存在があったのは事実でしょう。案外咲を守りたい一心で王になろうと思ったのかもしれません。

 

TVシリーズではこの対立に答えは出ませんでしたが、対立の演出が非常に熱くてワクワクしながら見てました。ミサイル60発撃たれたのにそれを全部撃ち落とすなんてかっけえええ。

 

ニート

その滝沢の手伝いをしたのがすべてニートだったというのもまた面白いところだったと思います。最初の10発のミサイルの際に避難誘導したのも、携帯を直したのも、60発のミサイルの対処法を考えたのも全てニートです。

ニートもかっこいい珍しいアニメでした。

映画「メメント」 感想 記憶の不確かさ

映画

クリストファー・ノーラン監督による映画。同監督のインセプションがとても面白かったので見てみたという流れです。インセプションの方は誰にでもオススメしやすいSF映画でしたが、今作は全く逆のタイプでした。

 

この映画のポイントは時系列。冒頭のシーンから段々と遡っていくという手法となっており、初見時はえらく混乱しました。冒頭の映像が逆再生されたことからすぐに気付ければ良かったのですがなかなか気付けなかったです。

遡っていくストーリーとは別に、モノクロの映像が所々で挟まれます。主にサミーの話で、こちらは基本的に時系列に沿った内容になっています。

この2つの時系列はラストで交わるようになっており、この映像トリックがこの映画の1番の見所となってます。

 

・物語を遡る

この映像トリックの面白いところは、記憶障害を持つ主人公レナードと同じ状況を体験できる所です。過去の記憶がない所から、今の状況や刺青、自分が残したメモを元に過去を遡っていく。誰が信用できる人物なのか全くわかりません。(結局全員レナードを利用してやろうという悪いやつだったという可哀想なオチ

もし普通に時系列順に映画を作っていたら記憶障害を持つレナードがどのような状況に置かれてるかイマイチ体感しにくかったでしょう。記憶障害を疑似体験するには持ってこいの手法なわけです。

こんなことを思いつけるノーラン監督尊敬します。

 

ただ斬新な手法な故に理解するまで時間がかかり、難しいと感じてしまう人が多いと思います。1度で完璧に理解できる人は普通にすごいと思う。だから冒頭でも触れたように誰にでもオススメできるような作品ではないのが少し残念。

 

・記憶の不確かさ

レナードは家に強姦魔が押し入ってきた際に頭を強打され記憶障害を患います。その後、その記憶障害が原因で妻を亡くしてしまいます。

彼はそのトラウマから記憶を都合のいいように書き換えました。「妻は強姦魔にレイプされて殺された。」「サミーは記憶障害が原因で妻を亡くした」サミーはレナードが保険会社に勤めていた時のお客さんです。レナードは保険金詐欺かどうかの調査をしていました。

不可抗力とはいえ自分が妻を殺してしまった事実に耐えられなかったのです。

記憶を書き換えた後、彼は妻を強姦した犯人を殺します。殺された妻の復讐という大義名分があるため殺人の達成感は思った以上に大きかったのでしょう。笑顔で映る写真からもそれがわかります。

 

復讐の達成感を覚えてしまったレナードは自分のトラウマに向かい合う事ができず、妻を殺した責任を架空の犯人ジョン・Gになすりつけます。彼は殺した事を忘れ、また新しいジョン・Gを探しては殺すのを繰り返します。テディから自分が殺人を繰り返していた真実を聞いた後も彼は全く変わりません。テディが真犯人だと思えるような手がかりをわざと残した上で記憶を忘れ、最終的にテディも殺します。テディに利用されていたとはいえやり過ぎです。

 

記憶はいざとなれば自分の都合のいいように書き換えられるという良い部分、正しい記憶がないと自分が何者かわからなくなってしまうという悪い部分、どちらも感じられる作品でした。

映画「グラン・トリノ」 感想 人生の終わらせ方

映画

wwws.warnerbros.co.jp

2008年に公開。クリント・イーストウッド監督の名作。主人公もイーストウッド自身が演じています。

 

とにかくウォルトがかっこよかった!評判が良かっただけに期待外れに終わると嫌だなあと思っていたのですが、十分良かったです。長い人生を歩んできた老人ならでは生き様を感じられました。

 

・あらすじ

妻に先立たれた昔堅気の頑固親父ウォルト・コワルスキーと隣家のモン族の気弱な少年タオの話。隣家のタオとその姉スーがギャングに絡まれていたところを助けたことがきっかけで交流するようになる。ウォルトはタオを一人前の男に育て上げるべくいろいろと手助けをし、次第にタオやその家族と仲良くなっていく…

 

・ウォルト・コワルスキー

綺麗な妻に二人の子供、一軒家に庭、そして愛車グラントリノ。まさに順風満帆な人生。朝鮮戦争を経験し、退役した後は50年フォードで自動車工として働いた。仕事を辞めた後は妻と犬とのんびり暮らす。まさに理想の人生。

 

しかし子供が大人になって一人立ちして、妻にも先立たれた彼には何が残ったでしょう?子供たちとは接し方がわからずあまり仲良くはなれなかった。もちろん家や庭、愛車は”物”として存在していますが、それだけでは彼の生きがいとはなりえませんでした。

バーで27歳童貞の牧師と話をしていた時、牧師からあなたにとって生と死は何か聞かれます。ウォルトは死について、朝鮮戦争を3年経験して17人の子供を銃剣で刺したりシャベルで殴って殺したことを話します。逆に生については、家庭を持ったとしか言いません。ぱっと出てくる生きがいがそれしかなかったからこそこの答えなのです。愛車グラン・トリノは大切な物ではあるが、生きがいにまではならなかったのでしょう。戦争で人を殺した罪の意識がそれだけ大きかったということでもあります。殺した人数を覚えている事がその証拠。人はどうでもいいことはすぐに忘れてしまうものです。

 

・罪の意識

タオとその家族がギャングに絡まれているところを助けた後日、なぜ警察を呼ばなかったのかと牧師が訪ねてきます。ウォルトは咄嗟の判断が重要だと、また”朝鮮戦争での経験”を例に答えました。すると牧師はその罪からは神に懺悔することで救われる、と懺悔を勧めてきます。ここで彼は”命令されてではなく、自分の意思でやった”からと懺悔を断るのです。

命令されて仕方なくと罪から逃れるのではなく、自分の意志で殺したんだと真っ向からその罪と戦う姿勢。めちゃくちゃかっこいい。

 

虐殺器官のクラヴィスを思い出しました。クラヴィスも仕事としてたくさんの子供を殺していましたが、その罪とその罪から逃れようとした罪の意識を感じていました。その罪の意識に苛まれるという地獄の中で、彼は答えや赦しを求めていました。その結果彼はアメリカを混沌に陥れます。罪の重さに耐えきれなかったとはいえ自殺よりたちの悪い幕引きです。対してウォルトはクラヴィスよりずっと精神面では強く、戦争から帰ってきてその罪に悩みながらも家庭を持ち順調に人生を送りました。50年以上もその地獄と戦い続けたなんて立派すぎる…

 

この姿勢は終盤で教会に懺悔した時にも表れます。彼は妻以外の女性とのキス、脱税、息子との不仲を懺悔しますが、戦争でのことは懺悔しません。ギャングどもに対する報復も銃ではなくライターで行います。ライターには第1騎兵師団のロゴが入っており、まさに彼の戦争時代の象徴と言えるでしょう。そのライターとともに没する。人殺しを悔いており、その罪の意識を持ちながら人生を終えたことを伝えるとても素晴らしい幕引きでした。

人の死をこれほどかっこよく思えたのはこの映画が初めてです。それは彼が罪の意識から逃げるのではなく、友達タオの為に、そして誰も血を流さない解決方法としてこれを選んだからです。何十年もこの罪の意識と戦い続けたウォルトにとってこの選択は逃げと言えるでしょうか?もうそれだけ戦ったなら私は十分だと思います。

自己犠牲の究極として死を持ち出すのはエンタメの常套手段ですが、今作はそれを差し引いてもよかった。最高にかっこいい人生の終わらせ方。

 

彼から生き様を学んだタオ。タオこそが愛車グラントリノを受け継ぐに相応しい人物なのは間違いありません。

小説「虐殺器官」感想 人間の持つ"良心"はどこから来たのか

小説

こんにちは。

前の記事に引き続き伊藤計劃さんの小説です。

”ことば”や”死”が一番のテーマだと思いますが、ハーモニーと同じように人の”意識”もテーマにしており、そのテーマに対して独自の解釈で展開されるストーリーはとても面白かったです。

今作はそのようなテーマの中でも道徳観や倫理観といった人の”良心”についてよく語られていました。

 

良心、道徳観、倫理観と聞いたときに私は小学校の時の道徳の授業を思い出しました。命の大切さ、人を思いやる大切さなどを戦争や障害者に関するビデオを見たりしてた気がします。まあ今となってはほとんど覚えておらず、あまり役に立っているようには思えないのですが、こういう事は社会的に”善”とされるということは学べた気がします。

 

ただ、何で善とされるか、善と思うかなんてのは考えもしませんでした。

そこに本作は切り込んでいったのが私にとってはとても新鮮で魅力的でした。

 

・器官

ことばも、ぼくという存在も、生存と適応から生まれた『器官』にすぎない。

本作の重要な考え方の一つです。人間のすべてのものが生存と適応の産物に過ぎず、それは言葉も例外でなく、肝臓や腎臓といった器官と同じであるという考え方です。

そのため思考は言葉より上位に位置すると考えられています。

 

・良心

良心がどのように生まれたか、同じく進化論の考え方を用いてクラヴィスとルツィアの会話中でゲーム理論のシミュレーションを例に説明されています。初期は個体は自分のためにしか動かないが、世代を重ねると目先の利益よりは集団を形成して行動した方がずっと安定性を得られる。そのために利他行為(良心のある行為)をとる個体が出てくると。

良心とは、要するに人間の脳にあるさまざまな価値判断のバランスのことだ。各モジュールが出してくる欲求を調整して、将来にわたるリスクを勘定し、その結果としての最善行動として良心が生まれる。膨大な数の価値判断が衝突し、ぎりぎりに均衡を保つ場所に、『良心と呼ばれる状態』は在るのさ。 ージョン・ポールー

価値判断のぶつかり合い、欲求の調整の結果が良心。これはハーモニーでの意識についての考え方と同じで、良心は”ある意識の状態の一つである”とジョン・ポールは述べています。

 

虐殺器官

言語学者のジョン・ポールは人類の過去の虐殺の資料からある法則性、文法を見つけました。それはどんな国、どんな政治状況、どんな言語であれ共通してあるという、深層の文法です。人間の脳の中にはあらかじめ備わった手持ちの要素を組み合わせて文を生成する機能、すなはち言語を生み出す器官があり、ここから生まれる文法の中に虐殺を予兆させる文法があることを彼は発見したのです。これを発見したジョン・ポールは逆にその文法を使って脳の欲求モジュールを調整して、”良心”のバランス状態を崩壊させ社会を混沌に陥れたのです…

”良心”のディティールは国や文化、究極的には人によって違うけどそれはどうするの?とかこの深層の文法が具体的になんなのかが示されておらず突っ込み始めたらきりはないのですがそれはしょうがないでしょう。

 

・ラスト

虐殺器官を発見したジョン・ポールがその深層文法に触れ、妻子の死を経験し、自分の愛するアメリカをテロから守るために虐殺を行うようになった。クラヴィスは母とルツィアの死による孤独、仕事で殺してきた人々への贖罪、ジョン・ポールからのメモによりアメリカの虐殺に至った。

前者は愛する世界を守るため虐殺を起こしましたが、後者はどうでしょう?クラヴィスは自分の罪を背負うことにしたと言っているが、ここで言う罪は今まで少年少女など数多くの命を奪ってきた罪と、これからアメリカを混沌に陥れる罪どちらも指している。「他国の人を殺した罰として自国の人を殺します」というオチ。もう完全にめちゃくちゃである。虐殺器官が”正しく”機能した例がジョン・ポールで、間違って自滅の道を歩んでしまったのがクラヴィス

もうこの世界の人類はサーベルタイガーのように滅んでしまわないよう祈るしかありません

小説「ハーモニー <harmony/>」感想 ”完璧な”人間の先に待っているものは

小説

伊藤計劃さんのSF小説です。

約一年前に一度読みました。その時期に映画も公開されましたが、小説だけでかなり満足したのと公開映画館の少なさ、あまりよい評判を聞かなかったのもあって見に行かず今に至ります。

伊藤計劃さんの別作品「虐殺器官」の映画も同時期に公開予定でしたが、アニメ制作会社マングローブの倒産により公開延期になりました。この映画は来年の2月3日に公開される予定です。

project-itoh.com

・世界観

<大災禍>と悲劇が起きた後の世界。核戦争により未知のウイルスが生まれ世界に病気が蔓延しました。世界は病気を駆逐するため資本主義社会から命と健康を第一とする医療福祉社会に変化します。その結果病気や戦争がほとんどない平和な世界が誕生。ユートピア。現在の人々はWatchMeと呼ばれる全身を監視されるシステムを体内に埋め込み、メディケアという個人用医療薬生成システムを所有している。

 

「健康」、「平和」と聞くと一見いいように思えるのですが、その行き過ぎた思想は酒やたばこの禁止に始まり、食事メニューの制限、倫理セッションや健康カンファレンスへの参加(ほとんど義務)、殺傷表現のある小説や映画の閲覧禁止などなどとても息苦しい社会になってしまっています。

そんな優しさで首を絞めつけらるような社会に疑問を持つミァハ、トアンのお話

 

・欲求と意志と意識

この作品では以下のように考えられています。

意識の関心を惹き、強く印象付ける心理作用のことを「報酬」と言う。快楽や精神的充足、痛みなどのこと。この「報酬」によって動機づけされる様々な「欲求」がせめぎ合って最終的に下される決断を「意志」と呼んでいる。会議を思い浮かべると分かりやすい。会議の場で欲求のモジュールがそれぞれ主張しあい、調整して、結論を出す。その過程と結果を纏めて「意志」と言う。

 

人間の価値判断には一種の非合理性がありこれを何とかして制御してやれば合理的な「意志」を持つ完璧な、理想的な人間ができると科学者たちは考えた。

その結果何が起こったのか?確かに合理的な「意志」を持つ事が出来たが、同時にわたしはわたしであると認識している状態、すなはち「意識」が失われた。

 

この哲学的でSF的な展開がこの作品の魅力です。内なる自然までもを支配下に置こうとした人間の末路。

「意識はないけど意志はある。しかしその意志は人工的に制御されたものである。」

これでは人間と言えるのでしょうか?肉体こそが人間の本質か、それとも精神こそが人間の本質か。

ミァハはもちろんyes派。トァンは理屈では正しいと思っているけれど完全に納得はしていなかったように思います。完全に納得しているのなら復讐するかどうかは調和された後の世界の自分に任せてあげるはずです。 

「あなたの望んだ世界は実現してあげる。だけどそれをあなたには与えない」

同志であるミァハへの憧れ、そのミァハの壮絶な過去、調和した世界、父とキアンの死。様々な葛藤の結果トァンが選択した意志はこうでした。やっぱり人間ってこれなんだよ!この壮絶な葛藤こそが、この高度な意識こそが人間を人間足らしめているものだと自分はどうしても思ってしまいます。みなさんはどうでしょうか?